屋号のTataはタータって呼んで下さい^ ^
真紀さんの屋号ってタタ?タタってなに?
ってよく聞かれます。
何語?
ってね。
Tataはタータって呼んで下さい。
ふるさと石川県の方言からつけました。
写真は春に帰ったときの金沢です。
子供のころ、母や近所のおばちゃん、学校の先生などが、小さな私やお友達たちが仲良く遊んでいると、その様子を見て
「あらー、いちゃきな(いちゃけな)たあたやぁー」
と、愛おしそうにでもあり、からかうようにでもあり、なんとも言えない様子で声をかけてくれました。
既にその頃には
「いちゃきな」も「たあた」も日常的な方言としてみんな使っていなくて。
私たちのちまちました様子が、ひと昔前の子供たちみたいに見えたのかもしれません。
あ、肝心な意味ですが
「いちゃきな」は可愛らしい
「たあた」は女の子、お嬢さん
という意味です。
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母がすい臓ガンで亡くなる前、まだ喋れた頃に
「このお金は真紀が好きなことに使いなさい」
と言って、こっそり渡してくれたお金がありました。
母のへそくりだったので、たくさんではありません。
服を数枚買ったら無くなりそうなほど。
その頃の私がいた環境は、まだまだ夫婦で若かったから、
夫だけの収入で家族4人(末っ子はまだ生まれてなかった)の生活は食べるだけで結構大変で。
逆を言えば余力はあまり無くても夫だけの収入で食べられていたことはすごいことだし、ありがたいことなんだけど。
そしてどこのご家庭だってそうだったと思うけど20代や30代前半の頃に、妻が自由に自分のためにお金を使えることは、実際あまりないんじゃないかなぁ。
そんな私を見て、母は親心として、娘には少しはおしゃれして欲しかったのかも知れません。
今私が娘にはいつもおしゃれして、かわいくいてほしいと思うように。
入院費を心配して受け取らない私に、母はふざけて
「いちゃきなたあた、あんたの好きなもんでも買うまっし」
と、お金をぎゅっと渡してくれました。
これは、私のためのお金。
知らないうちに、生活費に消えてしまわないようにしようと思って、大事にしていました。
あるとき、プリザーブドフラワーを知り、そのお金でディプロマを取りました。
ディプロマを取ったあと、協会に登録するのに屋号が必要になったときに、
母との小さい頃のやり取りや病院のベッドの上でのやり取りを思い出して、
たあたという屋号を付けました。
そこから今の私へとつながっていくのです。
Tataという屋号は母との思い出でもあり、
貰ったお金のことを忘れないために
自分へのエールでもあります。
これからも付き合っていこうと思う屋号です。
どうぞ可愛がって呼んで下さい。
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